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10月8日 I love Tora9月21日 初秋の上街道を歩く
6月16日 チビとチャイコ我が家の飼い猫 チビ(♂)は二才、チャイコ(♀)は推定十二才。 いずれも入り込んできた 野良猫である。 チャイコは吹雪の中玄関先で連日餌を求めて、立ち尽くした上、猫なで声を駆使して 入りこみ、チビは交通事故に遭って瀕死の重傷を負っていたところを我が家に引き取られた。 チャイコは息子の成長に合わせ、場面場面で爆笑演技を彼女なりに 披露し、又、通りがかりの人々に愛嬌を振りまき可愛がられていた。 一方、チビは傷が癒えてからは家族にすっかり甘え、特に家内には いつも胸元に寄り添い、愛くるしい仕草で彼女の膝の上を占領していた。 二匹とも出身が野良にもかかわらず近所の方々に可愛がられた人気者であった。 ところが、 二匹は、猫エイズに罹っていたのである。そして今春同時に発症し、一ヶ月の闘病の 末、手を携えるように二匹とも逝ってしまった。先生から発症の可能性をいつも言われ 覚悟をしていたが、現実に死んでしまうと我が家は今火の消えたような寂しさに 包まれている。 チビ 、 チャイコ 我が家に来てくれてありがとう。 楽しいたくさんの思い出をありがとう。 玄関開けるな ! 猛猫注意 ! の注意書きは当分玄関に掲げています。 二匹の冥福を祈ります。 合掌
チャイコ 膝で甘えるチビ
11月21日 ガリレオから400年 仙台市天文台台長 土佐 誠氏の講演を聴いて
先日、仙台市天文台台長の 土佐 誠 氏の ガリレオから400年 の講演を 聴きました。 ガリレオは、1609年に自作の望遠鏡を夜空に向け、数々の発見をします。 そして、天文学と神の世界が結びついているプトレマイオスの天動説に反対した コペルニクスの地動説を科学的に証明しました。 ① 月のクレーターの発見 天上は凹凸のない完全無欠の世界と 考えられていた。 ② 木星の衛星の発見 ④ 天の川は星群のかたまり 来年は、皆既日食と共に近代天文学の父であるガリレオの話題で 学会も沸き立つことでしょう。 先生の勧めで、翌週に仙台市錦が丘にある移転新築された仙台市天文台を 見学しました。 太陽、惑星、地球、月、恒星 等の観測データや模型、そして観測機器類が 展示されていました。 プラネタリウムは、太陽の一生 を投影中で悠久の宇宙を考えていた 私は少なからずショックを受けてしまいました。 ヒトは宇宙のかけら 太陽は水素等と核融合をしてそのエネルギーを放出します。 しかし、寿命は100億年といわれ50億年後には、その命(地球も)を終えます。 終焉の時、太陽は次第に膨張し、水星、金星を呑み込み、地球の海水を 蒸発させて大爆発を起こします。爆発はガスやチリとなって宇宙空間に 飛び出して新元素を合成していきます。 ヒトを構成する元素は遠い過去に宇宙に放出されたガスやチリのかけらなのです。
有限の地球を考える時、地球の最後を見届けるのは、 人類であること を願い、地球の環境や世界の平和を改めて考えさせられた講演でした。
追伸 今日の新聞に太陽の11年周期の黒点活動が中々見られず、天文学会の 話題になっているとか。 私は、恥ずかしながら、今まで天文学というのを勉強したことがありません。 高校受験のため 惑星の並びを暗記した位です。このブログを書くのに 1週間も掛かりましたが、今回の講演や仙台市天文台を見学することに よって新しい世界に入っていくことが出来そうです。 専門知識を有する方々にとってはあまりにも幼稚な感動物ですが、 少しづつ知識を蓄えていきたいものです。 なぜか今、加山雄三の歌を口ずさんでいます。
サザンエース 11月4日 芭蕉と最上川芭蕉と曾良は陽暦7月19日に新庄市本合海より船運を利用して最上川を 下ります。古口の船関所を通り抜け白糸の滝を見ながら清川に上陸します。 梅雨の末期の最上川は日本三急流の濁流を時折見せ不安な船旅だったと 思います。 五月雨を あつめて早し 最上川 清川【現 庄内町】は、当時、酒田と鶴岡との分岐点にあたり大いに船宿地として繁栄しましたが 明治以降、陸上交通の発展に伴い船運は衰退し明治以降寂れる一方となりました。 ちなみに私はこの清川中学校(今は廃校となっています。)を卒業しました。
清川出身の幕末尊王の志士 清河八郎 は新撰組を語る上で重要な人物です。 童門冬二のその著 新撰組 に詳しく記されています。 ところで、芭蕉達は山刀伐峠越えて、7月7日から出羽の国の尾花沢、大石田に11日間宿泊します。 尾花沢の紅花問屋の鈴木清風を尋ねていったのですが、彼の所へはわずか三泊しか泊まることが できませんでした。少し寂しい気持ちになってしまい、この様なひきの声の句を作ってしまいます。 這出よ かひやが下の ひきの声 蚕室の床下の蟇よ、ここに出てきて 私の相手をしてください。 歓待しては頂いているのですが、どうしてこのような句を残さざるを 得なかったのでしょうか? 二人の寂しい気持ちが伝わります。
7月13日山寺の立石寺を訪れます。立石寺は慈覚大師(円仁上人)の開基した天台宗の お寺です。今、山寺の近郊は来るべき冬の準備に大忙しですが、忙中閑あり 芋煮会の シーズンです。サトイモと牛肉、こんにゃく、ねぎを醤油仕立ての鍋で景色を賞でながら川原で 食する野趣豊かな春の花見と並ぶ山形地方独特の鍋文化です。 漢文調に表現された山寺の章は、荘子の無為自然の世界に通じ おくのほそ道 傑出の 名句を作ります。 閑さや 岩にしみ入る 蝉の声 あたりは静寂そのものである。 岩にしみ入る様な蝉の声は 山寺の静けさを一層深く感じさせる。 孤独感を余情としている。 主客合一の心 昭和4年、鳴く蝉について 茂吉と小宮豊隆は蝉の種類について論争を展開しましたが、 現在は豊隆が主張したニイニイゼミが茂吉のいうアブラゼミを押さえ、定説になっています。 ジージーと太く濁り息も続かないアブラゼミの鳴き声より、細くて糸筋のように続き、 時々ためりが見えるようなニイニイゼミが遥かに適切であると主張したのです。 一方、立石寺の住職である 清原浄田 は、サライのインタビューの中で 蝉は、 芭蕉の俳諧の師匠 蝉吟 であると話されています。 岸をめぐり岩を這て、仏閣を拝し、佳景寂寞として 心すみ行くのみおぼゆ 初めて心が澄む境地に至った芭蕉の耳に残る蝉の声は 蝉吟 の教えそのものと 思ったのです。 山寺を旅行するとそんな気持ちになるから不思議です。 横山先生の講座は今年度の講義はこれでお終いです。 先生はおくのほそ道の講義の中で、いろんなジャンルの人物を登場させました。 又、私も講義を聴く中で、芭蕉に通じるいろんな人を思い起こしました。これから少し 勉強をしてBLOG UP していきたいと思います。
追伸 横山寛勝先生の熱心な講義が終わり、聴講生一同が興奮冷めやらずと いう場で、閉講式がありました。 古川図書館の館長が開口一番 来年度の予算編成上(総枠10%カット)、この市民講座は、廃止する かも知れません。 と伝えたのです。 無事講義を受講し終えた喜びと、残りの おくのほそ道 を読みたい と盛り上がっている場に なんともOOな館長の一言でした。 厳しい予算を強いられているが、図書館としては、この講座を 熱心な先生と聴講生の皆様を見て是非継続したい。 リップサービスでもよいから言って欲しかったです。 本講座の副題は、大崎市をよく知ろう ですが 大崎市財政悪化緊迫状況をよく知った次第です。 サザンエース 10月20日 おくのほそ道はいよいよ最難所 出羽越えです。
陽暦6月28日、芭蕉と曾良は、一関から旧上街道を1日で駆け抜けるように岩出山へと到着しました。 一関、岩出山間は、約60kmありますが、上街道の岩ヶ崎、真坂周辺は山道になっていて超人的 な道中になっています。 平泉では、人間や人事の有限性や無常さと、天地の悠久や自然の威力を思い知らされ、 時のうつるまで泪を落としてしまいました。 夏草や兵どもが夢の跡 夏草 天地悠久 兵どもが夢 人事流転
五月雨の降りのこしてや光堂 五月雨 天地悠久 光堂 人間の無常さ 上街道 芭蕉衣掛の松 上街道 岩ケ崎より真坂方面を望む
中尊寺 光堂 今回の横山先生の講座の副題は、 おくのほそ道と大崎市をより深く知ろう です。 おくのほそ道には、大崎市にかかわる部分の文章としては、 尿前の関の前段だけですが、 先生の熱弁は続きます。 宿泊地の岩出山は、伊達藩の城下町とともに尾花沢へ通じる最大難所、奥羽山脈を越えるための 2つのルートの分岐点です。2つのルートは 1 尿前の関から中山越えをして山刀伐(なたぎり)峠を越える鳴子経由 2 加美町小野田を抜けなべこし峠を越え銀山経由。 銀山は古い温泉 NHKおしんの重要な舞台 なべこし峠を経由すると、距離は相当短いものの道中に人家が少なく、物騒な目に遭うことを 心配して彼らは鳴子ルートを選びます。私は、風流に考え、宿の人の勧めに応じて 鳴子にある、京都の嵐山に似た小黒ケ崎や、歌に詠まれたみづの小島を見たいと思い、 鳴子ルートを選んだのと思いたいです。 ところが、尿前の関では、関守に怪しまれ、宿泊した封人の家では、風雨で3日間も予定外の 所在のない逗留となり、又、枕元で毎晩馬の放尿の音を聞く羽目になります。 蚤虱馬の尿する枕もと どうして尿前の関では関守に怪しめられたのでしょうか。 1 幕府の間者として疑われた。 2 関守は新任だったので任務に張り切っていた。 3 言葉が通じなかった。 もっともですね。東北のずーずー弁と三重出身の芭蕉の 言葉では簡単に会話はいかなかったはず。 尿の読み方 しと と ばり ( しとまえのせき )とあるので しと と読むのが妥当、しかし、ばり、もほとばしる勢いがあり面白い。 尿前の関跡に、関守の子孫である遊佐氏が 関の茶屋 という休み処を営んでいます。 山菜の漬物と草もち大福は大変美味です。初夏に同所で開かれる池田敏子さんのバイオリン 演奏は静寂な森閑にこだまして聴き応え充分です。 横山先生は更に問いかけます。 当時から有名な鳴子の湯を芭蕉たちは楽しんだのでしょうか? 荻原井泉水はその著(奥の細道ノート)の中で行程や夏時間を考えれば、 きっと宿泊していたはず と主張していますが、曾良の旅日記に宿泊の記載無く、 句も残していません。 山中温泉のような湯の句を鳴子に残してくれていたならと、、、 芭蕉さんを少しうらみたくなります。
「おくのほそ道」全体の中での尿前の関の評価は、文人のたちの間では、高い評価を得て います。 「けふこそ必ず危うきめにもあふべき日なれ」 いよいよ旅に死んでもかまわないと思うような場面にさしかかり、緊張とともに反面、少し期待を よせながら山刀伐峠を上ります。屈強な若者を道案内役に頼むほどの行動ですが、思ったより あっけなく通り抜けることができたので、やれやれという安堵とともに、いくらか調子はずれの こそばゆさを感じてしまいます。少し肩透かしの芭蕉を見て曾良は芭蕉の詩心の浄化を 図れなかったのではと心配したほどです。 山刀伐峠越えは、市振の親不知、子不知越えと対比をなすものです。出羽山脈を越える苦労と 断崖を通り抜ける海岸路の踏破の苦労の対比表現で、おくのほそ道の不易流行の 根幹をなすものです。 出羽と結ぶ山刀伐峠、あるいはなベこし峠は、ともに最上川船運を利用する船着場大石田への 重要なルートで、日本海経由の京都への近道だったのです。
先生は芭蕉と夏目漱石を登場させました。 則天去私と言う漱石に対し 芭蕉は私意を捨てよと言いました。 ところが、現代は 「私」の時代ですね。
鳴子温泉 瀧の湯 10月4日 「緒絶えの橋」と「おくのほそ道」芭蕉と曾良は、陽暦6月26日に松島を出発して平泉を目指します。 ところが、現高城近郊の左坂(あてらざか)で道を間違えて石巻を 目指してしまいます。石の巻の文章は、ドラマチックなどんでん返しを 用いています。(当初から石巻を目指していましたが平泉を劇的に登場させる虚構構成のため?) ①猟師やきこりが往来する寂しい道を歩いていくと、人家地を争う活気ある湊町の石巻ありました。 ②こんな活気ある湊町なれば簡単に宿もとれると思いましたが、なかなか探すことができず苦労します。 ③翌日、北上川沿いのはるかに心細い土手を北上し到着したところが、黄金文化輝く古都平泉でした。 このように、3回のどんでん返し用法で絢爛豪華な平泉を登場させたのです。 又、おくのほそ道の目的として、みちのくに先人たちが残した歌枕の地を訪ね歩くことでした。 姉歯の松 、緒絶えの橋 、袖のわたり 、尾ぶちの牧 、まのの萱はら みちのくは、歌枕の宝庫です。 緒絶えの橋は、私の自宅から300メートルのところにあります。川幅約2メートルの緒絶川に かかる橋ですが、今は旧国道としてコンクリートの橋になっています。歌碑と案内版だけですが 近くに 市民ぎゃらりー緒絶の館 や 食の施設 醸室(かむろ) があり、土日を中心に 観光客の姿も多く見られます。お土産に橋平酒造店の清酒 玉の緒 和菓子舗いずみやの ひとめぼれまんじゅう が有名です。
みちのくの をだえの橋や これならむ ふみみふまずみ 心まどはす 後拾遺 左京大夫道雅
踏みと文が掛詞
9月18日 芭蕉と茂吉 「おくのほそ道」を読む 飯塚(飯坂温泉)芭蕉は、陽暦9月18日加賀の国 小松に宿をとりました。初秋の 加賀路の旅心はどんな気持ちだったでしょうか。不易流行を求めての信念の 旅もいよいよ終盤です。野分の風雨と持病(胃痙攣、痔疾)に悩まされながらも 澄み渡った秋空の景色(曾良日記によれば快晴が続く)を満喫した旅と想像しています。 そして、長旅の疲れから曾良との間も少し微妙になってきます。 一方、私たちの講座(横山寛勝氏主宰)は 白河の関を越え、飯坂温泉に到着しましたが、 宿は貧家で、土間の上に莚を敷いて寝る有様。雷や蚤蚊に悩まされ、更に持病も起こって これからの旅の不安いよいよ増してきます。 でも、信念の芭蕉は弱気心を捨て、杜甫、白楽天、西行のように旅の 途中で死んでも本望(道路にしなん、是天の命なり)と気を取り直します。この飯塚の 描写は、文芸作品としての推敲が重ねられているので果たして、、、。 能因法師とまではいかないものの少し虚構されているのでしょう。 今回、横山氏は芭蕉の俳句と斉藤茂吉の短歌の考え方の共通点を講義されました。 即ち、茂吉の短歌に取り組む姿勢は「実相観入」であり、芭蕉は「入顕情句」でした。 茂吉は物(自然)と自己が共生することにより句が生まれ(自然自己一元の生)、芭蕉は 物(自然)にいりて微の顕れて情感ずるや句にせん。二人は300年の時空を超えて 物と自分とが一緒になる瞬間を追い続けていたのです。 斉藤茂吉の記念館は山形県上山市にあります。阪神大震災の日に訪れて以来ご無沙汰しています。 彼は昭和18年から22年にかけて大石田で過ごし、地元の人々と人間茂吉としてほのぼのとした交流がありました。 北杜夫は父茂吉の大石田での生き様をしっかり書いています。もう一度読みたくなりました。(白き山?) 少し脱線気味の芭蕉 飯塚 でした。 しばらく飯坂温泉にも行っていないな、、、、。
最上川逆白波のたつまでにふぶくゆうべになりにけるかも 茂吉
次回の芭蕉はいよいよ仙台宮城野です。 ミヤギノハギも咲いています。
、 9月15日 定禅寺ストリートジャズフェス今年も定禅寺ジャズフェステイバルが開催された。13日(土)、私はプロ野球「楽天イーグルス対 西武」を応援観戦していたが、家内は最終まで市民広場でのサタデイナイトジャムを楽しんだ。 翌日14日(日)は、古川にあるジャズバー 「花の館」 マスターの率いるバンドの応援。 ヒロ菊地のサックスとマスターのドラムのフィーチャリングがケヤキ通りにこだまし 観衆の拍手と相まって路上ライブの楽しさを一層醸し出していた。又、女性サックス奏者2人を 加え新鮮味を増していた。 マスターは初回からのジャズフェス参加で今年は18回目の連続参加で仙台ジャズフェス隆盛の 立役者である。そして、若手演奏家のよき理解者でもある。 古川の「花の館」には若手を中心に多くの演奏家が集まり、マスターのドラムとのセッションを 楽しんでいる。 街角から流れるいろんなジャンルの音楽は、聴衆を軽やかなステップに誘い、ビルのウインドウには 聴衆のステキな、そして幸せな笑顔が映っていた。 9月4日 殺生石 遊行柳を読む 芭蕉芭蕉は、おくのほそ道を旅したあと5年をかけて推敲を重ね、記録のみならず 文学的にすぐれた作品『おくのほそ道』を創作しようとする強い意思がありました。 事実を虚構化し、あるいは歪曲化を図ります。 叙述も意図的にぼかし、飾る文章に先行文芸の本歌を取り入れています。 そして、「俳諧の極意」は 俳諧はただ眼前の事にて候 松のことは松に習へ 竹のことは竹に習へ と芭蕉は言っています。 服部土方はその著「三冊子」の中で、芭蕉の前出の言葉を解説し、句を作るには 注意深く事を見なさい 私意を離れなさい そうすれば、句はたちどころに生まれます。{ 入 顕 情 句 } 芭蕉の、、、習へ は、いま私が読んでいる 明恵上人 の「あるべきやうわ」に つながり 中尊寺、山寺立石寺への旅に及んだのかなと一瞬思いました。 殺生石の景観もさることながら、風流を解する馬子に驚き、西行への想いが際立って 表現された遊行柳 一度訪れたいものです。
田一枚植て立去る柳かな 立ち去るのは芭蕉 植えているのは早乙女 です 8月26日 時空を超えた幻想浪漫 新庄まつり6月11日 定年退職 巣林一枝5月7日 おくのほそ道 考 終平泉を後にした芭蕉は、一関、岩出山間約60㌔を1日で 踏破します。道中は大崎平野を中心とする平坦な道ですが 一迫、岩出山近辺は山道になっています。 見事な健脚振りです。 山折哲雄氏(花巻市出身 宗教学者)は、芭蕉が花巻市に 立ち寄らなかったことを大変残念に思っています。 私も又、芭蕉が鳴子に立ち寄らなかったことを残念に 思っている一人です。 芭蕉はどうして当時から有名であった鳴子の湯に立ち寄らな かったのでしょうか。 不思議です。 もし、山中温泉のように鳴子で1句あれば鳴子温泉は一層賑わいを 見せていたことと思います。 山中や菊はたおらぬ湯の匂 一関、岩出山間は 南部道はるかにみやりて、、、、 と、たった一行で書き上げています。他の記と比較するとあまりにも 省略されています。理由はわかりませんが、旅を急いでいた様子が 見て取れます。それにつけても古川の『緒絶えの橋」を詳述して もらいたかったです。 5月から古川図書館にて芭蕉に関する開放講座が開かれます。 私も出席して芭蕉をもっと楽しみたいと思っています。 5月2日 おくのほそ道 考 3時空を超え、古人の心を求めた芭蕉の「おくのほそ道」は 不易流行という俳諧観を形成していきます。(雲英末雄) 夏草や兵共が夢の跡 推敲を重ね紀行文から文学作品と昇華していった「おくのほそ道」は 「対照の極み」というひとつのテーマに行き着きます。 「対照の極み」を列挙してみます。 1 序章 行く春や鳥啼き魚の目は泪 結び 蛤のふたみに別れ行く秋ぞ 2 漢文調と和文調の文体の使い分け 漢文調 月日は百代の過客にて 、、、、、 和文調 市振の関 白波のよする汀に身をはふらかし あまのこの世を、、、、、、、 3 松島と象潟 松島はわらふがごとく 象潟はうらむがごとし 4 少女と遊女 芭蕉の旅の中でめぐり合った少女と遊女は、特別の感情を 芭蕉にもたらしたのでしょうか。 かさねとは八重撫子の名なるべし 一家に遊女も寝たり萩と月 5 旅の難所 山中難所 なたぎり峠 海浜難所 親不知子不知 4月28日 おくのほそ道 考 24月26日 おくのほそ道考サライ(小学館)の4月号特集 <おくのほそ道を旅する >を 興味深く読んだ。 私は、若いときに父の転勤の関係で山形県の最上川沿い各地に 多く住み、今は縁あって宮城県大崎市に終の棲家を 求めている。 320年前芭蕉が俳諧の風雅の道を極めるため歩いた おくのほそ道は、私が其の日の糧を求めて、又、生きるために 駆け回った地そのものである。 元禄2年1689年3月27日(陽暦5月16日)憧れの みちのく へ 旅立った芭蕉の紀行足跡をサライ写真等で確認しながらWEB師匠の サファイアさんの真似をして<考>を重ねていきたい。 2月18日 DVD ROMEを楽しむ。DVD ROME を楽しんでいます。去年、WOWOWで放映されたましたが、 英国BBC放送がローマ帝国のカエサル、オクタビアヌスの活躍した時代を 巨額の費用をかけて2005年に製作完成させたものです。 塩野七生の<ローマ人の物語>に描かれたものが、映像としてみることができ 塩野七生のローマを見る目に改めて感動しています。ただ、映像には、残酷さと テレビで放映されたとi云うには少し過激なエロテイツク場面が数多くあります。 このDVDを楽しむにあたり、カエサルを取り巻く相関図表を作り画面と見比べています。 日本のTBSでは年末年始にかけローマ帝国の特集を数多く放映し、今秋には 日本テレビでも放映の予定とか。現在の日本の政界は塩野氏がいつも比較している ローマ帝国の元老院に似ています。2000年経過しても人間の考え方は 少しも変わらず目の前の利益追求にのみに終わってしまうのでしょうか。 1月15日 次の記事について: Rockin' in '08's: MSN イン�E�コンサーチESourceURL=http://msninconcert.msn.com/music/Rockinin08/ja-jp/artistrock を検索 楽しみなコンサートになります。 元の記事からの引用
1月3日 明けましておめでとうございます。(友人への新年メッセージ)
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