夏の名残の日差しがまぶしい初秋の一日、旧奥州上街道 (別名陸奥上街道、一関市台町追分
~岩出山町天王寺追分)を辿るドライブを楽しみました。
320年前、芭蕉と曾良はこの上街道60kmを驚異的な足取りでわずか一日で踏破します。
「南部道はるかにミやりて岩手の里に泊る」
上街道の困難な道中をたった1行の文章に書き止めます。
そして、
最大の難所、出羽越えの件を「おくのほそ道」一番の見事の見事な文章で表現していきます。
「蚤虱馬の尿する枕もと」
の名句をいっそう際立たせることに成功したのです。
又、目的地の尾花沢への出羽越えを、小野田、なべこし峠越えから急遽取りやめ、より困難な
尿前の関、中山越え、なたぎり峠越えへと経由を変更したのです。
なぜ、なたぎり峠越えを選択したのでしょうか。
1、芭蕉、曾良は幕府の間諜で伊達と出羽の国境、尿前の関の警備状況を確認する必要があった。
2、源義経一行が平泉に逃れた道を、武士出身の芭蕉自ら確かめたかった。
3、「おくのほそ道」道中のクライマックスといえる出羽越えをいとも簡単にクリアしたのでは
読者の興味が半減する。
岩出山の旅籠、石崎屋に投宿して考え抜いた芭蕉の算勘に長けた一面を見る気がします。
先人の歌人達が歌枕に残した小黒ケ崎、美豆の小島を訪ね、尿前の関に到りますが、
途中、当時から有名だった鳴子の湯を芭蕉は楽しまなかったのでしょうか。
荻原井泉水は著「おくのほそ道を尋ねて」の中で、{鳴子の湯には多分脚をとめたらうとおもふ
のだが、確証のあることではない}と述べています。
私はきっと芭蕉は鳴子の湯を楽しんだと思います。
旅の最大の難所、緊張と危険の予想される出羽越えを前に、「鳴子の湯を楽しんだ」では、「おくのほそ道」の
文章全体が締まりません。
それにしても、芭蕉が「鳴子の湯の句」を一句残していてくれたなら、 と思うのは私ばかりでしょうか。
山中温泉では
「山中や菊はたおらぬ湯の匂」
と、見事な一句を残しています。
伊達政宗の居城だった岩出山城下にも、当時俳諧を楽しむ風流人が多く住んでいたと思われるが、
惜しいことに句会を催すまでに至らなかった。芭蕉さんを少し恨みたくなりました。
そんなことを考えながら初秋の上街道をドライブしました。
参考講話 横山寛勝氏
大崎市立図書館
平成20年度 古典文学講座